京都「大山崎山荘」

素晴らしい眺望の庭園美術館

京都・山崎といえば、「サントリー山崎」蒸留所が在る、日本ウィスキーの聖地である。

JR東海道線「山崎駅」の北側にもっこりとふくらむ天王山。

その西に件(くだん)の山崎蒸留所の広大な敷地が広がるのだが、この東側にも、実はサントリーウィスキーとは切っても切れぬ縁で繋がるもう一つの古い建物が静かにたたずんでいる。

正式名を「アサヒビール大山崎山荘美術館」という。

アサヒビール創業者である山本為三郎のコレクションが展示されているのだが、興味深いのは、この建物にまつわる逸話の方である。

加賀正太郎は大阪出身の実業家で、イギリス留学の後帰国して西欧文化を日本に積極的に導入した人物である。

寿屋(サントリーの前身)でウィスキー蒸留所の工場長をしていた竹鶴政孝と親交があった加賀は、竹鶴がウィスキー製造を巡る路線対立で寿屋を辞職すると、竹鶴の理想の実現のために力強く後援を約束した。

この竹鶴が創立したのが、ニッカウィスキーである。

ニッカウィスキーの大株主であった加賀は、自身の死に際し、その株をアサヒビール創業者であった友人、山本為三郎に託したのだ。

さて、この大山崎山荘は加賀が、眼下に横たわる宇治川、木津川、桂川をかつて学んだロンドンのテムズ川を想い、その風景を眺め楽しむべくチューダー様式で建てた洋館である。

しかし加賀の死と共に、この山荘持ち主は変遷の途を辿っていった。

やがて1980年代後半のバブル期に及んで、この天王山一帯は高層リゾートマンション建設構想に目を付けられる。

近隣住民は猛反対した。

その頃、時を同じくして、廃屋と化しつつあったこの山荘を甦らせ、それを文化財として保存しようという運動が起こった。

山荘の文化財保護、天王山の自然保護が一つとなったこの運動に、かつて縁があったアサヒビールが企業メセナ運動として出資した。

 今日、山荘は美術館として再生されるとともに、周囲も美しい自然庭園として整備されて、京都の大きな財産となっている。

 山荘のドアをくぐる。

内部はマホガニー、くるみ、ローズウッドなどの木がふんだんに用いられた内装が重厚で美しい。

 人間というのははかない生き物でたかだか100年も生きられない。

しかし作り上げられた文化はその数倍の寿命を以て歴史の大河を流れて行く。

私が手をその流れに浸せるのはわずかな一瞬に過ぎないが、大河の一滴の感触はたしかにこの掌にある。

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