小松 安宅の関(あたかのせき)

歌舞伎「勧進帳」で有名な義経・弁慶ゆかりの地

あなたが歌舞伎ファンなら、いや、歌舞伎ファンでなくとも、少しでも源義経がらみのドラマや映画を観たことがあるなら、「安宅の関」と聞けばピンと来るに違いない。そう、かの有名な歌舞伎「勧進帳」の舞台となったのが、この安宅の関なのだ。

ご存知ない方にちとご説明申し上げると、源義経は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟、しかし頼朝が正室の息子であるのに対し、義経は妾腹だ。彼らの父である源氏の棟梁、源義朝が平治の乱で平氏に敗北すると、嫡子頼朝は伊豆に流され、幼い義経は鞍馬寺に預けられる。その後頼朝は東国で挙兵、大きくなった!?義経は未だ見ぬ兄の下に馳せ参じ、兄ちゃんのためにせっせと働く。期せずして戦の才に恵まれた義経、鮮やかな采配で次から次へと強大な平氏軍を平らげ、遂には壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡へと追いやる。が、その後京に凱旋し、頼朝の許可なく官位を受けなどした結果、義経の活躍・出世を妬んだ東国武士達や、数々のパワーゲームに巻き込まれ、兄頼朝に追討される運命と相成り、京から奥州藤原氏を頼って落ち延びた。その逃避行中に通過したと言われているのが、この安宅の関、なのである。義経がなぜ頼朝に追われる運命をたどったか、他のJapan Travel記事もご参照頂きたい。

歌舞伎や歴史は好きだが、昨今活躍目覚ましい歴女達のように、はるばる野を越え山を越え、万難排して史跡を辿るほど根性も熱意もない私は、安宅の関が近所にあるなんて露ほども知らなかった。しかしある日、福井から県外に飛ぶのに利用する北陸3県のメイン空港、小松空港を利用した際、ロビーに飾っていた義経、弁慶、富樫人形を発見、「なんでこんなところに勧進帳が?!」と不思議に思い尋ねると、なんと勧進帳の舞台である「安宅の関」は小松空港から車でたったの5~10分だと言うではないか!!? これでは如何に私に根性も熱意もなかろうと、行かずんば歌舞伎・歴史ファン(もどき)の名がすたるというものだ。

というわけで、ある日小松空港に行ったついでに立ち寄ってみた。生まれて初めて目にする「安宅の関」だ。確かに情報通り、小松空港から車でものの5~10分程度で着いた。で、どんな所かというと、日本海に面したオーシャンビューの松林の中に「安宅の関跡」という石碑が建っている。そして松林を抜けると、義経、弁慶、富樫の巨大な銅像が海辺から少し離れた砂浜に建てられていて、近くには「勧進帳ものがたり館」という平屋建て資料館もあり、実際に歌舞伎役者、故市川団十郎氏が舞台で袖を通した衣装や、文楽の勧進帳人形などを展示している。砂浜の武蔵坊弁慶の銅像は七代目松本幸四郎(現九代目幸四郎の祖父)、富樫像は二代目市川左團次がモデルだそうだ・・・・では一体義経像のモデルは誰なのか??!

要するに、「~~跡」と呼ばれる観光地の多くがそうであるように、それほど目を見張るものは残っていない。とはいえ、松林に一歩足を踏み入れ、頬にそよぐ海風を感じながら目を閉じれば、おのずと何やら神妙な心地がし、一瞬義経の生きた12世紀初頭の昔にタイムスリップしたかのような気分になった。本当にこんな茫々たる松林を、荒れ狂う日本海の烈風を受けつつ逃亡したのだろうか義経は、と、目の前に義経主従の無残な姿が浮かんでは消える。

と、想像力を逞しゅうして、しばし感慨に耽った後、勧進帳ものがたり館へと足を運ぶ。ここも一色勧進帳だ。義経主従への同情心もどこへやら、団十郎が着たという本物の歌舞伎衣装を間近に見るや興奮し、同情心も感慨も吹き飛んでしまった。ここでは歌舞伎舞台のビデオも上映されており、日本の伝統芸能が身近に味わえる。営業時間は9:00~17:00で、毎水曜日と年末年始以外は年中無休だ。入館料は大人300円、高校生以下は150円だ。

ちなみに安宅の関跡には無料で立ち入り可能なので、義経や勧進帳にぞっこんな人は、一日中松林で時を過ごすことができる。福井やこの近隣の観光地はどこでもそうだが、人の姿はまばらで、義経ファンの聖地!? 安宅の関を独り占めすることだって不可能ではない。しかしながら冬場は重装備した方が良い。義経・弁慶主従ほど切羽詰まっていない限り、冬の日本海から吹きすさぶ風は寒かろうからだ。

小松空港からほんの10分足らずの安宅の関、小松空港経由で北陸を訪れる人には是非この歴史的遺跡に立ち寄って頂きたい。

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